私の成分

今の私はこうやって出来あがったとさ。

かわいくなりたい

赤ん坊の頃から男の子に間違えられていた。

まゆ毛の太い子で、鼻が上向いた子だった。ほっぺたがモリモリしていて、鼻が埋まっていたらしい。

田舎の農家の長男の、初めての子だから、また男でも女でも喜ばれたのである。

そんな田舎の箱入り娘は、どこか女であることに罪悪感を持ちつつ、さらに自分の容姿に自信が持てずに、育っていった。

可愛いよりも、働く人間であることが喜ばれる環境だった。

私は褒められる子ども、自慢にされる子どもを目指した。
実際「偉いね〜」と言われる子どもであった。

可愛いと言われたことはなかったと記憶している。男の子だったら良かったのにねぇと言われることはあっても。






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君の往く道は7

国家試験に受かって、一年半の美容師生活に終止符を打った。

なんとかそのまま仙台で生活していこうと思って、喫茶店でアルバイトを始めた。
そこは自分がよく通っていた喫茶店だったのだが、辞めたことを話したら、働かないかと誘われたので、話に乗っかった。(ふむ、やっぱり今も変わらないな)
しかし、すぐにマスターに手を出されそうになり、行くのをやめた。今の時代なら、訴えることができるかもしれないな。

もう・・・色々と情けなくなった私は、実家へ戻ることにした。

その先はここへ繋がる。
神戸在住になった訳 - 私の成分

神戸へ行ったことで、再び美容師を続けることになったが、本当は違う仕事でいいのに・・・と思っていた。
しかし、ジローさんに気を遣って言えなかった。私の為を思っていってくれるのだろうからと。

しかし、それは嘘だ。気を遣ったのではない。
ただ嫌われたくなかっただけ、相手にいい顔をしたかっただけだ。(結局、たった一年半で別れてしまったし)

その時は、美容師を続けなかったら神戸に残れなかっただろう。親を納得させる為の手段だった。

初めからそういう いい加減な気持ちでの再スタートだから、いつもやりたくない事をやっていると無意識で思っていたのだろう。

表面上は美容師になりたいふりをして、それは必死にやりましたよ。
シャンプー、ワインディング、ブローにカット、着付け・・・講習会へも行ったし、やってきたつもり。そう、「つもり」だったのだ。周りに見せるための頑張り。
だから不満ばかり。その不満を周りのせいだと思っていたが、店を変わることで、全て自分の思考と態度がそうさせていたとはっきり分かった。

書けば書くほど、情けない自分が浮かび上がってくる。

辛いので、今日はここまで。いや、もう書く事もないか。この先はコチラで。http://sorominoko.hatenablog.com


f:id:sorominoko:20161024150826j:plainこうなれるよう、努力中。

君の往く道は6

店長以外は女性ばかりの仙台駅前店では必死だった。
「とにかく怒られないように・・・」その思いで一杯だった。
考えると、この時点で「一人前になってやる!」という気持ちがない。できるようになるのは叱られない為だ。頑張る方向が間違っている。


一年ほど経ってから、今度は仙台中央通り店へ異動になった。
ここには男性美容師も多く、少しユルい雰囲気でまだ気持ちが楽だった。
その代わり、スタイリストの入れ替わりが激しく、色んな人がいた。
ロンドン帰りの人、東京帰りの人、再び海外へ行くと辞めて行った人・・・
初めて大勢で飲みに行き、雑魚寝という体験をした。今で言うところのクラブという所にも連れて行ってもらった。
岡村靖幸のライブへ行きたいと言ったら、先輩が嘘に乗ってくれて早く帰らせてくれたこともあった。
あの頃店で流れたり、教えてもらった音楽は今でも覚えてて懐かしい。(ポール・ウェラーとかスタイル・カウンシルとか、EBTGとか)

男女入り混じっていると、もつれもある訳で・・・。その辺りも面白かった(当時太りまくっていた私には浮いた話はなかったが)。

楽しいこともあったが、やはり仕事は辛い。遊ぶ暇もなく、彼氏もいない、寂しい日々(と思い込んでいたな)。同期は店の先輩と付き合ったり、または辞めて結婚したり。
世はバブルの終焉期。まだ弾ける前だったので、OLになった同級生の楽しそうな姿が羨ましかった。
ねずみ講に引っかかったのもこの頃だ。「寂しさ」や「孤独」は、そういう人間を呼び寄せる。これは何年か後にも同じことになる(笑)

そして、国家試験の実施試験に合格した私は、辞めることをマネージャーに伝えたのだった。