私の成分

今の私はこうやって出来あがったとさ。

神戸在住になった訳。10

今思えば無茶だが、テレビをつけてみたのだ。

すると電気がまだ通っていたらしく、画面が明るく光った。

そこに映し出された光景。

ここは何処だろう?
倒れた阪神高速、煙が上がる街。
バラバラとヘリコプターの音、興奮したアナウンサーの声。

不思議なもので、部屋の中は滅茶苦茶に散乱し、ドアを開ければ 倒壊した家屋が広がる。
この目で確かに見たはずの光景が、テレビの画面を通すと、まるで他人事のように感じるのだ。
あんなに怖い目に遭ったのに!

忘れない、あの感覚。



それ以降、電気もガスもダメになった。
とりあえず私は店(美容室)に行ってみた。(近所なので歩いて行った)
そこまでたどり着くまでの短い道程でさえ、一体ここは何処だっけ?と思うほどたくさんの家が崩れていた。

店は地下だったが、先生家族は同じビルの5階に住んでいた。そしてそのビルは、見れば斜めに傾いていた。

物凄く不謹慎なのだが、私はこの時 「もうここで働かなくていいんだ」と思ったのだ。
まず初めに考えたのはそれ。先生達の安否じゃなかった。人間として終わってると思うが、本音だった。


先生家族は、みんな無事だった。

ジローさんや先生や男の人達は、家屋が崩れて生き埋めになった人達を助け出す手伝いをしていた。

私は何をしていたんだろう?

近所の文化住宅で火の手が上がっていたが、ただ茫然と観ていた。水を運ぶでもない、ただ観ていた。

それから?

とりあえず 食料が必要だろうと、コンビニが開いていたので並んだ。
その時に、「日本人って偉いな、」外国なら強奪だよな。並んでちゃんとお金まで払って。日本人で良かったな」と思った。

店員さんが、電気がきてないからレジを使えず、人がたくさん並んでいるから、焦って計算も適当で、「多分だいたい三千円くらいかな」と言ってても、皆ちゃんと払っていく。
そうか、実は皆パニックだったのかな。でも 凄いよね。

 

一日だけ避難所の小学校に居た。
寒かったが、皆でその辺から瓦礫を拾い集めて、火を焚いていた。キャンプファイヤーみたいだった。また不謹慎だが、妙に楽しく感じた。

 

二日目からはアパートに戻り、暫く過ごした・・・のかな?
いや、ジローさんの実家に身を寄せさせてもらったんだったか。

震災で酷かったのは海手の方で、神戸の山手は揺れはしたが倒壊はあまりなく、殆ど無事だった。ジローさんの実家は、その山手にあったから。

 

そこから、段々とジローさんと私の関係は
変わっていったと思う。

続*